せんせいのはなし
(小説/鋼野中心オールキャラ)暁下エイジ
毎朝顔を合わせるたびに「酷ェ顔してんな」と笑っていた。「お前もじゃろ」と苦笑いする槍崎は最近見たことがないような表情を浮かべることが多くなって、多分俺自身も気付かない内にそうなっているのだろうと思っていた。この一年は何にも分からないなりにやるべきことが膨大にあって、出勤時間もいつの間にか随分と早くなった。文句も言わずに目覚ましより先に目が開くようになったのは、一体いつからだっただろう。
「あと一週間じゃな」
槍崎がそう呟いて、曖昧な笑みを浮かべた俺は黙って先に階段を降りる賢者の背中を見ていた。嘘みたいだが、本当のことだった。あとたった一週間で俺が約三年間担任として受け持った奴らが卒業するのだった。とうの昔に引退をした勇者部の面々はやっぱり今年も皆俺のクラスで、進路相談なんてのももちろん俺がやっていた。だから、あいつらがどんな風に悩んでこの先の道を決めて、進んでいこうとしているのかを俺は全部知っている。ろくな話もできなかったがあいつらは俺なんかよりずっと立派に高校生をやっていた。そして勇者部以外の生徒たちも、ムチコには「あなたが担任なのに奇跡ね」と言われたけれど卒業を間近に控えてようやく全員が進路を固めた。合否を待つ奴、これから試験を受ける奴なんかもいるが、とにかく前だけは向けていた。俺は満足だった。
「…まだ寒ィなぁ」
カン、カン、とスローペースな音を響かせながら俺はマントを引っ張って体に巻き付けた。今日のHRでは何の話をしようか。これまで俺はどんな話をしてきたんだっけ。俯きながら考えていた俺はふと目の前の槍崎の足が止まっていることに気付いた。顔を上げて、目が合って、初めて俺は今日が見事な晴れ模様であることを知る。槍崎が、俺にゆったりと笑いかけた。
「やっぱり、寂しいのう」
俺は、小さく首を縦に振った。
* * *
三年生の教室が並ぶフロアは慌ただしい。けれど、登校する生徒の数は少なかった。隣のクラスの担任を受け持っているムチコは朝からパタパタと走り回っていて、すれ違いざまに「大変だなー」と声をかけると「うるさいわね!」とにべもない返事が返ってきた。それでも少しだけ表情が和らいでいたので許してやることにする。自分からは何も言わないが、最近のムチコは生徒と同じかそれ以上に張りつめた様子をしていた。
俺と、槍崎と、ムチコ。三人揃って担任になったくせにみっともないくらいに俺たちは右往左往し続けて、今年一年で何度ムチコの涙を見たか分からなかった。生徒の前では決して流さないそれを俺と槍崎だけが知っていた。責任感の人一倍強いムチコは未だに進路の決まっていない生徒のために懸命に動いている。今では素直に尊敬していた。卒業式は笑顔で迎えて欲しいと思う。ムチコにも、ムチコのクラスの生徒たちにも。
チャイムが鳴る五分前、ガラリと教室の扉を開くと一斉に生徒たちの目が俺に向けられる。
「あれ? せんせー早くない?」
真っ先にそう言ったのは壁際の席でおしゃべりをしていた火野木だった。
「おー、早く着いちまったな。チャイムが鳴るまでは気にすんなよ」
そうへらりと返して教壇へ向かう間に教室の中はあっという間に元通りの騒がしさになる。フィギュアを組み立てていた小野が「おはようございます」と律儀に挨拶し、窓際でゲーム機をいじっていた杖がにこりと笑顔を向けてくる。最前列の席で突っ伏していた盾はちらりと俺を見てから再び狸寝入りをきめた。まさゆきは恐らく今日も遅刻だろう。
出席簿を放り投げ、いつものように足を投げ出して教壇に座る。ぎしりと背もたれに体重をかけ、頭の上で腕を組ながら天井に目を向けた。ざわめく声がBGMのように耳を通過し、俺はそれを心地いいと感じた。今日は何の話をしようか。これまでは単に自分がしたい話をしてきただけなのに、この頃はどうしてか何を話したらいいのか分からなくなっていた。話したいことはたくさんあるはずなのに、頭の中でぐるぐると渦巻くそれは明確な言葉にはなってくれなかった。
(困ったな)
女子の弾けるような笑い声が響く。おはよー、となんでもないように交わす挨拶が妙にはっきりと聞こえてくる。そうだ、昔話でもしてやろうか。目を閉じて思う。俺がまだ勇者じゃなくて、勇者になりたかった子供の頃の話で、まだ、お前らの先生じゃなかった頃のこと。なぜだろう最近よく思い出すんだ。あの頃の俺が今の俺を見たらなんて言うのかなって、考えてる。
(多分な、びっくりするんだ。それから「案外悪くねぇな」って笑うんだろう。世界でたった一人勇者で先生になった俺を俺はきっと好きになる。お前らはどうかな。俺と同じ年になった時何を思うんだろう。想像したら、楽しいじゃねぇか)
それから、少しだけ、胸がずきんとする。なぁ、俺は、俺がこんな風にお前らの先生になるんだってほんの少し前まで知らなかったんだ。それなのに、勇者を先生にしちまったお前らはあっという間に卒業するだなんて、そんなの、そんなの、寂しいじゃねえか。
耳慣れたチャイムが時間を告げる。遠くから癖のある足音が響いている。思わず俺は笑った。しょうがねぇ、あいつが教室に滑り込んできたら、さあ。
今日もHRを始めよう。
暁下エイジ
Pixiv